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デトックス

皆様、こんにちわ。
久々のブログです。

というのも、この先月半ばからどうやら私のデトックス月間に突入したらしく、体から感情やら炎症やら、いろんなモノが出るわ出るわ…。今現在は、先週からの風邪のピークを過ぎて、ようやく回復に向かっているところ、です。

お仕事の予定も変更していただいたり、多方面にご迷惑をおかけしました。関係者の皆様、ごめんなさい!


このデトックスのきっかけは、深夜、APで物音がするようになってからです。その詳細はここでは省略しますが、私は毎晩「その物音に驚いて起き」てしまい、その後ドキドキして眠れない…という状態になってしまいました。

そんな日々が続くうち、「またいつ物音がして、びっくりするかわからない」という不安から、夜ウトウトしかかると、ハッ!と目が覚めてしまうのです。それでは、と昼寝を試みたのですが、ダメでした。寝入りそうになった瞬間「寝るな!」という声(自分の)が聞こえたように思いました。

夜、枕に頭を載せても、首の緊張が抜けません。とにかく気が抜けないのです。慢性的な睡眠不足も重なって、体調も悪くなってきました。


そんなある日。
この『恐怖』は、身に覚えがあるぞ、と気付いてしまいました。


それは、DVのパートナーと暮らしていた頃の記憶です。

気まぐれな彼は、いつ出て行って、いつ帰ってくるか予想がつきません。機嫌良く帰ってくるか、不機嫌に帰ってくるか、たとえ機嫌良く帰って来ても、いつ何がきっかけで不機嫌になり、暴言と暴力の嵐に巻き込まれるかわからないのです。

そうなった時には、私は、壊れた洗濯機に放り込まれたボロぞうきんのようなもの。洗濯機を回すのも止めるのも、私にはコントロール出来ないのです。ただただ濁流に飲まれ、それが収まるまで翻弄されるだけ…。


私に出来たことは、「油断しないこと」この一言に尽きるような気がします。いつも緊張し、相手の気配に神経を集中し、自分の言動が彼の引き金を引かないように、細心の注意をしていました。

実際には、彼の引き金は彼の手の中にあったのだから、私の努力は意味がなかったのですが。

(彼は「お前のせいだ」「お前が~~したからだ」と口では言っていても、本当は自分自身に怒っていてその辛さに耐え切れなくなった時に爆発するであって、私の言動は実は関係がなかった…。この辺の詳細は別ブログに)


それでも、しばらくの間、穏やかな日々が続く時もあります。彼と心が通じたような気がする時があるわけです。そんな時にはつい緊張が緩みます。

しかし水面下では、彼の心にはうっぷんが溜まりつつあり、ある日それは爆発します。そのような爆発の衝撃はスゴいものです。「来るぞ」と身構えていた時、心の準備ができている(ヘンな表現ですが)時とは比べ物になりません。

そして、私は自分が油断してしまった「自分の落ち度」を悔いるのです。(本来なら、暴力でしか自分の感情を表せない彼の方に問題があるのですが、被害女性は自分を責めてしまいがちになります)



そう。
私はここ数年、本当に安心しきって生活していました。

安心出来る部屋。両親の深い愛情を感じられるしあわせ。心を許せる友達。そしてやりがいのある仕事を出来る喜び。


ある意味、油断しまくり☆です。


そこに深夜の物音が始まって、あの頃の自分がフラッシュバックしたのです。


DVの最中にいるときは、実際の辛さ・怖さの100分の1くらいしか、私は感じられていなかったのでしょう。人は本当に辛いとき、感情のアンテナをぐぐっと極限まで下げて、自分の心を守ります。心が崩壊するのを防ごうとするのです。

でも、感じなかったからといって、その感情がなかったことにはならなりません。ちゃんと残っています。そして、感じてもらうことを待っています。

そうして、私の身体の中に埋め込まれていた恐怖が、吹き出してきました。今度は等身大に、100の怖さは100として。



それに気付いてから、私は感情が出るにまかせていました。友人に「怖い怖い」とひたすら話しを聞いてもらったり、泣いたりしながら。

男性の腕力が恐ろしくないはずないんです。理不尽に言葉でねじ伏せられることが、愛情であるはずはないんです。彼も愛情に飢え、苦しんでいたのは確かですが、だからといって、暴力を正当化することは許されません。


「そうだよねぇ、怖かったよね」「よくあの状況で生き延びたね…」「がんばったね」


ただひたすら感じることを可能にしてくれた、たくさんの助けもありました。電話の友人の声は安定剤になるし、昼間は「あの音がさー!」と、お茶のみ話でグチらせてもらって(笑)。カードを引いたり、紙に感情を書きなぐったりも。

どうしても眠れない時には、薬の力もちょっと借ります。


そうして。感情の波はどんどん押し寄せてきたけれど、今はまた穏やかに収まりつつあります。感情は、感じることで成仏していくものだから…。


今、私は安全な場所で、安心して暮らしています。そんな今だからこそ、あの恐怖も出てくることが出来たのだと思います。今なら、受けとめても大丈夫! と、準備ができていたのかもしれません。

どんなことにも必ず終わりが来ることを、今の私は知っています。永遠に続く苦しみも、また永遠に続く歓喜もありません。揺れるにまかせていれば、物事はいつか中庸に落ち着く日がくると。




そんなこんなで3週間くらいたちますが、とどめの風邪が辛かった~! 高熱出したのも久しぶりでしたが、今日はぐっとラクになっています。食欲も戻りました(友人の差し入れてくれたカットフルーツの、胃に染みわたる美味しさに感動!)。

今日はまだ、声がかすれちゃってますが、明日からお仕事再開。毒出しもほぼ完了。がんばっていきましょう♪ 明日もよろしく。


テーマ : ひとりごと
ジャンル : 心と身体

近況報告

本日の室蘭、とーってもいいお天気ですね。
風はやや冷たくて、それがまた気持ちいいです。

しばらくヘタっていたので、なんだか「ひらめき」も掴み損ねたようで、なかなか記事を書けなくていました。でも更新しないと皆さんにご心配をかけてしまうので…、近況でも。


えー。不眠と予期不安があって…というのは、前の記事に詳しく書いたのですが、実はすっかり良くなりました。自分でも意外なくらい早く、毒出し終了~!

今までクライアント様にお伝えし続けてきたことを、自分も実践する良い機会になりました。


・自分を責めない
 (そうなっているのには、ちゃんと理由があるのだから)
・恐れや不安を抑圧しようとしない
・感情を感じ切る
・逃げ道をたくさん確保する
・「不安は不安」「私は私」(24時間囚われない)


まず、今の自分の状態をありのままに受け入れることです。「ああ、今私は不安になってるな~」と。そのことに良いとか悪いとかジャッジをしません。

だって、過去にとても怖い体験をしたのだから、しごく当然のことです。自分を弱く感じる必要もありません。感情が出てきた、ということは、今の私はそれを受け入れる準備が出来ているということです(でないと出て来られない)。そういう意味で、私は以前よりも強くなっているし、実際、今は安心で安全な場にいるのです。


そして、出てきた感情をそのまま「あ~、あの時は怖かったな~」と受け入れていきました。感じていいんです。感じれば感じるだけ、感情は成仏していきます。逆に「感じないように」押さえ込むと、潜在意識の深いところに抑圧されてしまいます。


1人で感じるのが辛いときは、友達に電話でつき合ってもらったりもしました。イザとなればセラピーもあるし、助けを求める人や場所が、私にはある…そんな逃げ道をふんだんに用意していたのも良かったと思います。


まあ、ピークには結構グチグチ周りにグチってました。「物音でびっくりして跳ね上がっちゃって、ドキドキビクビクで、今日はメロメロでだめだー!!(T-T)」なんて。

それを許してくれる存在がいるって事実の方が、私の抱えている不安よりも大きくて、私を守ってくれているもの。『コワい』より『有り難い』です!


とにかく不眠が続くのも仕事に響くので、ある程度の時間になって眠れなければ、睡眠導入剤をパクリ。30分以内に確実に眠れます。これも逃げ道のひとつ。罪悪感を持つ必要はありません。次善の策というものです。耳栓にも詳しくなりました(^^)。

 世の中には2万円を超える耳栓があるって、知ってました?


それから、「不安は不安」「私は私」というスタンス。24時間その不安について悩む必要はなく、出てきた時に「お、来たな。どの逃げ道を使おうかな?」と考えるくらいです。

平気な時間の方が多いし、ご飯もおいしく食べられる。仕事もできるし、バカ話も出来る。そういう自分がちゃんといる、って認識していることも大切です。『私=不安』ではないのですから。


そんな感じで、自分を助けるためのライフラインを目一杯使って、「よし、来い!」と向き合ったことで、過去、その時にはあまりに強烈で感じ切れなかった恐れや不安を、どんどん感じてどんどん成仏してもらって…。

「あれっ?」と気付いたら、導入剤を飲むのを忘れて眠っていたり、のんきにお昼寝出来るようになってたり。そう、突然、日常が帰って来ました。

やったね♪ というのが今の心境です。



風邪も歯の治療もやっと終ったし、がんばろっと。
ご心配いただきました皆様、本当にありがとうございました。


テーマ : ひとりごと
ジャンル : 心と身体

2011.6.23 放送内容+α

前回の内容はこちら


今回は、リスナーさんからのご質問メールにお答えします。


【質問】(概要)


小学2年生の娘さんのお父さんからの、ご相談です。

最近、娘が平気でウソをつくのです。先日も「上級生に殴られた」と言って、近所にあるおばあちゃんの家に駆け込み、大騒ぎになりました。

詳しく聞いてみたところ「実はおばあちゃんの家に行きたかったので、その口実に殴られたと言えば、心配して家に上げてもらえると思った」とのこと。

また、「誰々ちゃんが持ってるから、買って~」と買ってあげたところ、後に「誰々ちゃんが持ってる」はウソだったということも。

「低学年にはよくあること」と先生に言われたものの、放っておいていいものなのか? あまり叱るのもよくないと思うけれども、狼少年のようになって、誰からも相手にされずいじめの対象になるのでは…と不安です。




【答え】


ご相談、ありがとうございます。
「娘が殴られた!」となると、お父さんもびっくりされたでしょう。そして、よくよく聞いてみたらウソだったと分かって、更にショックを受けられたのでは。

「ウソ」というのは一般的に「悪いこと」と感じますし、この子はこの先どうなっちゃうんだろう? 狼少年みたいになって、誰からも相手にされなくなったらどうしよう…。

そんなふうに不安になってしまったお父さんのお気持ち、伝わってきます。




●ウソ=口実


娘さんは『何か口実がなければ、自分のニーズ(※)は人に受け入れてもらえない』と感じているようです。そうでなければ、口実は別にいらないわけです。

「おばあちゃんに会いに行きたい!」と、ストレートに表現してOKですから。

でも、彼女は今、何らかの理由があって、『自分のありのままのニーズは、人に受け入れてもらえないんだ』と、思ってしまっている。そしてウソの口実を使って、それを伝えよう・受け入れてもらおう、としているのではないのかな? と思います。



※ニーズ:人間が生きていく上で生じる欲求。愛されたい、やさしくされたい、認められたい、眠りたい、食べたい、あれが欲しい、あそこへ行きたい、お金がほしい、結婚したい…あらゆるニーズがあります。





●どうしてその子は、そんなふうに考えるようになったのか?


このご相談の情報だけでは、何がきっかけになったのかまではわかりません。が、この手の『傷つき』は、実は誰でも経験しているものです。


自分が赤ちゃんだった頃のことを、ちょっとイメージしてみてください。


『赤ちゃん』というのは、ある意味王子様かお姫様のようなものです。その家の真ん中にいて、ちょっとむずがると大人が飛んできてお世話をして、あやしてくれますね。上げ膳据え膳、下にも置かぬおもてなし…まさに王子様、お姫様(笑)。

赤ちゃんは自分の欲求のままに振る舞い、それを受け入れてもらっています。この頃、私たちは『自分は人に喜ばれ、ありのままで受け入れられる、大切な存在なんだ』という自尊心を感じています。

ずーっとそのまま行ければいいのですが、そうは問屋が下ろしません。ある程度大きくなってくると、『躾(しつけ)』というものが始まります。


躾というのは、今までなんでもOKだった自分の欲求に対して、とにかく『ダメ、ダメ』と言われるようになります。昨日まで靴を履かせてくれるのはお母さんの仕事だったのに、今日は「自分で履きなさい」と言われます。

なんでもかんでも「自分でやりなさい」と言われるのです。

これはもちろん、この子が大人になったときに困らないように…というご両親の愛情でもあります。だけど、子供は戸惑うんですね。


そして、こんなふうに感じます。「パパもママも私のことが嫌いになったんだ…」(そんな事実はないのですが、子供はそう感じた、ということです)「だから自分のニーズは大切にしてもらえないんだ…」と傷つきます。


これは、【人生最初の傷つき体験】です。劣等感・罪悪感・無価値観などを感じ、「自分はダメなんだ…」という感情が生まれます。


また、その頃に妹や弟が生まれることも多いのですね。すると、かつて自分がいた家族の真ん中に、新しい妹・弟がお姫様・王子様よろしく鎮座しているわけです。大人の目はやはり、手のかかる小さな子の方へ向かいがちにもなり、上の子はとても辛い思いをします。

自分も王子様やお姫様だったのに…。今は、まるで平民に格下げになったように感じます。その時の寂しさ、悲しさ…。記憶に残っている方も多いかもしれませんね。


そうして、『なんとかしてもう一度親の関心を得たい』と考えた子供は、良い子になってほめられようと頑張ったり、あるいは悪い子になって「叱られる」形で親の関心を引こうとしたりします。

この『良い子路線』『悪い子路線』も、どちらが良いとか悪いとかではありません。『親の関心を求めている』ということでは、どっちも同じです。だけど、その下では『寂しさ』を感じているのですね。


「この『傷つき』を体験しないで大人になれたらいいのに~」と、思うかもしれませんが、これを体験しないで大人になるのは、不可能です。

だから、私も澤田さんも体験してきましたし、リスナーさんもみんなどこかで感じた感情のはずです。



注:この時期、子供は自立心も育ってきますから、なんでも「自分でやる!」と言い出します。『自立したい気持ち』と、『甘えたい気持ち』の両方があるのです。そして、『甘えたい気持ち』が十分に満たされていると、子供は安心します。それが、自分の自立の道を探求する勇気にも繋がります。振り返れば、そこにお母さんのやさしい目線がある…そんな安心感があってこそ、自立心は育つのですね。




●ウソの原因は『寂しさ』


娘さんの話に戻しましょう。彼女の『私のありのままのニーズは、人に受け入れてもらえない』という気持ち…。これは、先ほどの平民に落とされたときの寂しさのモトに、似ているような気がします。

たまたま、娘さんは「ウソでもいいから口実があれば、聞いてもらえた」と感じる体験をしたのかもしれません。それから、受け入れてもらいたくて、ウソを言うようになったかもしれません。

大人から見ると、ウソは悪いことであり、ずる賢さのように見えてしまうこともあるかもしれませんが、それは『彼女が悪い子だから』ではなく、「私をもっと見て! 寂しいよ」というシグナルかもしれません。


注:実際に、ご両親が受け入れているかいないか、という問題ではありません。彼女は今、そう感じている(らしい)ということですので、親御さんはご自分を責めることのないようにお願いします。




●平気でウソをつく子はいない


お父さん・お母さんは、娘さんの言動の裏にある寂しさや不安を、受けとめてあげてください。(そういう気持ちがあるのかな~)という、優しい目線で見てあげるだけでもOKです。その子がそうなっているのには、ちゃんと理由があるのです。

彼女は今、自分のニーズを伝えること、ありのままに表現することに、臆病になっているのかもしれません。過去に表現したことで、「ダメ!」と言われたなどが、自分の存在そのものを否定された…と感じたのかもしれません。それがあまりに辛かった時、私たちはNOと言われないために(自分がそれで傷つかないために)、伝えるのを諦める、なにか真っ当な理由づけをする…といった行動をすることがあります(大人でも同じことをやっていますよね)。


そうして、良いところは積極的にほめる、悪いところがあったら叱ることも必要ですが、その時に『叱っているのはその行動のことで、あなた自身を否定しているのではない。あなたはお父さんお母さんにとって、かけがえのない大切な子供だよ』ということを、伝えていってください。




●『子は親の鏡』


ところで、お父さん・お母さんご自身に質問です。お父さん・お母さんは、自分のニーズをありのままに伝えるということ、出来ているでしょうか?

もしかすると、ストレートに言えずに遠回しに伝えようとしたり、別の手段で(ここで子供を使う、というのもよくあるケースです)相手に訴えたりはしていないでしょうか?

あるいは、上手に伝えられなくて、寂しい気持ちでいたりしませんか?


分かって欲しい
認められたい
やさしくされたい
愛されたい
もっと一緒にいてほしい


(ちょっと繊細なニーズばかり並べてみましたが☆)


もしも受け入れてもらえなかったら、すご~く辛いですね。だから、私たちは臆病になります。「そんなニーズは持っていない」というフリをしたり、「夫婦なんだから、~~するべき」みたいに『正論』を持ち出したり。

大人の方が知恵が働くので、自分のニーズを別の形にして要求するのは上手なのですよ。でも、その根底にあるのは「もしも受け入れてもらえなかったら、とても辛い。寂しい」そんな気持ちです。


『子は親の鏡』と言いますので、ご自分のこともちょっと振り返ってみてください。その時も、自分に対するやさしい愛の目線を忘れずにお願いします。

もしも、心当たりで胸がチクリと痛んだ方は、一度カウンセリングもお試しくださいね。


初めはお子さんのことで悩んで来られたクライアント様が、自分の心に向き合っていくと、なぜかお子さんの問題が消えてしまったりすることがよくあります。

みんな親である前に1人の人間で、やっぱりいろんな悩みをかかえています。その、いろんな悩みのほうを先に解決すると、親の心にゆとりができますから、お子さんのことも今より大きなスペースで受け入れてあげられるようになるんですね。

ご自分を癒すことがお子さんの、そして家族の癒しに繋がることも多いのです。私は児童心理は専門ではないので、このようなご相談のときには、基本・親御さんのほうからのアプローチをさせていただいています。




●今週の望のヒトコト


愛の目線を大切に です!




●そして、今週の『どっち!?』


今日、収録前にぼーっと座っていたところに、突然マイクを持ったひかるちゃんが現れて、「牛丼とカツ丼、さあ、どっち!?」

私:「は?」

ひかるちゃん:「どっちですか?」


さて、その答えは…? 放送をお聞きいただいた方は、ご存知ですね(^^)v。(カットされていなければ・笑)

ということで、今週もありがとうございました!




【FMびゅー】は 84.2MHz です

次回は7/7(木)の予定です。


テーマ : 心と身体のケアを大切に!
ジャンル : 心と身体

ヒビの入った心

自分という『器』のヒビを
そのままに、

一発逆転の魔法のような
奇跡の癒しを求めて、

西へ東へ走り回る、
癒しマニアになってはいませんか?


でもね、いくらたっぷりと
癒しを注いでも、

ヒビからどんどん
漏れていってしまうのでは、
もったいないじゃないですか。

だからまず『器』のヒビを
なんとかしようよ! って
いうのがカウンセリング。


でもその前に、
「あら、ここにヒビが・・・」
って気付かなければ、
手当も出来ません。


「長年、ヒビに気付かなくって、
ごめんね」と、自分に素直に
なって、それから丁寧に
土を練って、ヒビを埋めていく。

地道な作業ではあるけれど
決して辛くはないし、

心の器が、だんだんとキレイに
なっていく行程は、とっても
楽しくて、やりがいがあるものです。



あっ。もしかすると、

ヒビに例えたことを
「失礼な!」って思うヒトも
いるかもしれませんね。


だけどね、
・・・その昔、私自身が、
ヒビだらけの器だった頃、
こんなことをやってたんです。


日夜必死に、ポジティブ
シンキングを頭に流し込み
(マーフィーとか成功法則、
自己啓発などモロモロ)、

必死に笑顔を作って、必死に
人にやさしくしようと頑張って、

「こんなヒビだらけの自分が
露呈しないように」
する為に
エネルギーを使い果たして
クタクタに疲れて・・・。

そうして、

ついに器に限界がきて、
人生はどん底へまっしぐら。



しかし!! 

その限界まで来たからこそ、
「助けて下さい」って言えたんです。

ようやく人に助けを求める
ことが出来て、たくさんの
サポートをいただいて、
・・・しあわせな今があります。



私は、

器がこっぱみじんになる
ところまで気付けなかったけど、
そこまで待つ必要はないですから!

カウンセリングのドアは
いつでもオープンです♪


・・・ということで、
来月の予定をアップしなくては☆

皆様、少々お待ちを。


テーマ : 自分にできる事から
ジャンル : 心と身体

人に好かれたい、好かれたい

どうも日本人は、付き合いの良い民族だ。その付き合いのよい日本人の弱点は、他人が自分につき合ってくれないと、自分は他人に嫌われているのだと思って、落ち込んでしまうことである。日本人は、人に好かれたい、好かれたいと、強迫観念的に思ってしまう。人に嫌われるということは、日本人のあいだでは、まるで人間失格のように意識されている。
しかし、ほんとうは、そんなに他人のことを気にしなくていいのである。(P75)




捨てちゃえ、捨てちゃえ捨てちゃえ、捨てちゃえ
(2010/02/20)
ひろ さちや

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そうそう、逆に
自分が他人に付き合わないと、
「悪い人と思われないか」と
心配するのも同じですね。

だから「NO」が言えなくて、
嫌だなぁと思うことを
引き受けてしまい、
そんな自分に嫌気がさす・・・、

というエンドレスな悩みに
ハマってしまったりもします。



もしも、自分が誰かに
「それは出来ない、すまない」
と言ったことで、

相手が怒ったり(すねたり)
したなら、その人もまた
これと同じ思考(観念)を
持っているということ。

つまり自分も相手も
実は似た者同士なんですね。

そして、
大抵の人の集まりの中で、
こういう場面はたくさん
あることでしょう。



たとえば、会社で同僚が残業をしている。それで自分も、大した用はないのにそれに付き合う。この付き合いを思いやりと考える人がいるのだが、それは違う。その人は、自分が残業をしているときに、同僚がさっさと帰ってしまえば、きっと腹を立てるに違いない。前には俺が付き合ってやったのに、「水臭いではないか……」というわけである。
そのような「付き合い」は、気兼ねでしかない。気兼ねの裏には、他人も自分と同じようであれ、といった要求が潜んでいるのだ。そうして、他人が自分と違う行動をしたとき、他人を非難するはめになる
だが、人にはそれぞれの考え方があり、事情がある。そのそれぞれの考え方、事情を理解してあげるのが、思いやりである。

気兼ねする必要はない。大事なのは思いやりである。(P89)




『思いやり』というのは、
『何かをしてあげること』
とは限りません。

ひろさちやさんの
『思いやり』の解釈、
私にはとてもしっくりきます。


人にはそれぞれの考え方があり、
事情がある。

そのそれぞれの考え方、
事情を理解してあげるのが、
思いやりである。



『“事情” も “考え方” も、
全部ひっくるめたその人自身』
を、ありのままに受け入れる
・・・ということなんです。


そこには、
「あの人は~~すべきだ」
または「~~すべきでない」
という考えはありませんよね。

「ああ、そうなのね」と、
そのま~んまに受け入れる。


それって、OHカードの
世界観にもとても近くて、
私はホッ・・・と安らぎます。


人が集まって集団になると、
「あの人は~~すべきだ」
または「~~すべきでない」
という、

目に見えない観念
(はい、これがジャッジです)
が飛び交います。


その中でどうしたら
嫌われずにいられるか?
を気にすると、

あっちを立てれば
こっちが立たず・・・

あっちもこっちも
立てるためには、

『あっちで良い顔をし、
こっちで良い顔をする』

それしかないワケです。


それで、その場はいいかも
しれませんが、

『あっちで良い顔・
こっちで良い顔』
してしまった自分のことを、
自分だけは知っています。


「ああ、どうして私って
こうなんだろう・・・」って、
イヤ~~な気持ちを味わいます。

風見鶏のように、くるくる
回ってばかりいるのも、
とても疲れることです。


更に、そんなことばかり
していると、
『私はどうしたいんだろう?』
って、自分自身が
わからなくなっていくんです。



人にはそれぞれの考え方があり、
事情がある。

そのそれぞれの考え方、
事情を理解してあげるのが、
思いやりである。


この言葉のなかの “人” には、
“自分自身” も含まれます。

こう、書き換えてみましょう。



つまり、私には私の考え方があり、
事情がある。

その私の考え方を
理解してあげるのが、
思いやりである。



あなたが今、
『私はどうしたいんだろう?』が
分からなくなっていたとしたら・・・。

いいんです。

あなたが今そうなっているのにも
事情があります。

でも、

それがもし辛いのであれば、
カウンセリングが
お役に立つかもしれません。


あなたがあなたの事情を理解すること
は、自分自身への思いやりです。

自分を思いやれる人こそが、
他人を本当に思いやれる人なのです。


そう、
人にも自分にもそれぞれの
考え方があり、事情がある。

そのそれぞれの考え方、
事情を理解してあげるのが、
思いやりだからです。




テーマ : 幸せになる考え方
ジャンル : 心と身体

プロフィール

三浦 望

Author:三浦 望
☆心理カウンセラー
☆OHカードナビゲーター
☆エニアグラムファシリテーター
☆現代レイキマスター

北海道室蘭市在住
得意分野は共依存・親子関係・職場の人間関係・劣等感・自分が嫌い…
自身のDV体験、ウツ体験から心理学の世界へ。エニアグラムや各種心理療法を取り入れた提案型カウンセリングを得意とする。OHカフェ他、ワークショップなども随時開催中。

1969年室蘭市生まれ(女性)
離婚歴有 子供なし
パートナーと二人暮らし

ライトハウスカウンセリングルーム
八丁平4丁目バス停より徒歩5分

三浦望公式サイト
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