誰かの幸運を喜ぶこと。
誰かの幸運を願うこと。
自己啓発でも、精神世界でも、心理学でも、
どこでも聞く様なアタリマエ中のアタリマエ。
だけど、最近になってやっと、
やっとそのことが腑に落ちてきたように感じる。
私は人の幸運を喜べる人間じゃなかった。
うん、確かに。
しあわせの絶対量っていうのはもともと決まっていて、
誰かがよりしあわせになったら、私に配分されるはずのしあわせの取り分が、
減ってしまう様な気持ちになった。
幸運に見える人がうらやましかった。
「ずるい」って心の底で思っていた。
私だって一生懸命やってるのに、
ずるいことなんか絶対にしないで、まじめに頑張っているのに、
どうして世間にはあんな世渡り上手の人がいて、
しあわせや幸運をもっていってしまうんだろう?
って。
「自分はずるくない」って想いがあるということは、
「幸運な人はずるい」って感じているってことですよね。
だから「正直者は馬鹿を見る」とか、
「金持ちは陰でずるいことをやってるんだ」とか、よく聞いたし、
自分でもよく言っていたと思う。
そんな、あまりにも自分に慣れ親しんだ考えが、
「あれ?薄れてきてる?」って、感じたんですね。
それは今までにない、新鮮な感覚です。
『割を食ってる』という苦々しい想いに、
どっかり占領されていた心の中のスペースが、
いつのまにか広場になっていたような感じです。
アタリマエ中のアタリマエだけど、
私にとってはずいぶん大きなハードルだったなぁ。。
ようやく薄れてきたところだから、
まだまだ時間はかかるかもしれないけど、
視界はずいぶんクリアになったように思うのです。
そうすると、いつもの景色もなんだかキレイ。
仕事をしてても、街を歩いていても、買い物していても、
心のどこかが、「えへっ♪」と喜んでいるような。
なぜかというと、「ずるい」って感じない方が、
自分がとってもラクなんです。
すると、笑えます!
友達や仕事仲間やお客さんと話していても、
えへらえへらしているように見えるかも(^-^;)。
でも笑えるってしあわせだな・・・と、改めて感じているこの頃です。
誰かの幸運を願うこと。
自己啓発でも、精神世界でも、心理学でも、
どこでも聞く様なアタリマエ中のアタリマエ。
だけど、最近になってやっと、
やっとそのことが腑に落ちてきたように感じる。
私は人の幸運を喜べる人間じゃなかった。
うん、確かに。
しあわせの絶対量っていうのはもともと決まっていて、
誰かがよりしあわせになったら、私に配分されるはずのしあわせの取り分が、
減ってしまう様な気持ちになった。
幸運に見える人がうらやましかった。
「ずるい」って心の底で思っていた。
私だって一生懸命やってるのに、
ずるいことなんか絶対にしないで、まじめに頑張っているのに、
どうして世間にはあんな世渡り上手の人がいて、
しあわせや幸運をもっていってしまうんだろう?
って。
「自分はずるくない」って想いがあるということは、
「幸運な人はずるい」って感じているってことですよね。
だから「正直者は馬鹿を見る」とか、
「金持ちは陰でずるいことをやってるんだ」とか、よく聞いたし、
自分でもよく言っていたと思う。
そんな、あまりにも自分に慣れ親しんだ考えが、
「あれ?薄れてきてる?」って、感じたんですね。
それは今までにない、新鮮な感覚です。
『割を食ってる』という苦々しい想いに、
どっかり占領されていた心の中のスペースが、
いつのまにか広場になっていたような感じです。
アタリマエ中のアタリマエだけど、
私にとってはずいぶん大きなハードルだったなぁ。。
ようやく薄れてきたところだから、
まだまだ時間はかかるかもしれないけど、
視界はずいぶんクリアになったように思うのです。
そうすると、いつもの景色もなんだかキレイ。
仕事をしてても、街を歩いていても、買い物していても、
心のどこかが、「えへっ♪」と喜んでいるような。
なぜかというと、「ずるい」って感じない方が、
自分がとってもラクなんです。
すると、笑えます!
友達や仕事仲間やお客さんと話していても、
えへらえへらしているように見えるかも(^-^;)。
でも笑えるってしあわせだな・・・と、改めて感じているこの頃です。







